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2020年06月07日更新

【連載・黒髪と美の歴史】どうして黒髪女性に魅かれるのか#3

【連載・黒髪と美の歴史】どうして黒髪女性に魅かれるのか 第三回

生まれて7日目に産剃りをおこない、3歳頃まではいわゆる「丸坊主」のまま。そして、3歳になってはじめて髪を伸ばしはじめます。そして、男の子は5歳、女の子は4歳になると、今度はある程度伸びた髪を切りそろえる「髪削ぎ」がおこなわれました。

現代の「おかっぱ頭」にする儀式

髪削ぎは、髪置(髪を伸ばしはじめる儀式)以降、伸びた髪の毛先を肩のあたりで切りそろえて成長を祝う儀式です。この肩のあたりで切りそろえた髪形は、「尼削ぎ」とよばれました。というのも、受戒して尼となった女性も、肩の辺りで髪を切りそろえたからなんです。

まぁ、今でいえば「おかっぱ頭」です。おかっぱ頭の子どもを、かわいいとおもわないひとはいないでしょう。それは、昔のひとも同じです。あの清少納言も「頭はあまそぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで」と、おかっぱ頭で前髪が目の上におおっている様子は美しいと『枕草子』のなかで書き残しています。

七五三で変わる「髪」の儀式

ところで今でも、11月になると、子どもが3歳・5歳・7歳になったことを祝い、そしてこれからも健やかに成長することを祈って、「七五三」をおこないます。この七五三、もともとは3歳・5歳・7歳でそれぞれ違う儀式がおこなわれていました。七五三の3歳では「髪置」として、髪を伸ばしはじめます。そして、5歳の時には「髪削ぎ」として伸びた髪の毛先を肩のあたりで切りそろえて成長を祝ったんです。「髪削ぎ」自体は、5歳のときだけではなく。3歳や7歳のときもおこなわれました。これは、のちに「袴着の儀」とよばれるようになります。

髪置

袴着の儀とは、幼児がはじめて袴をつける儀式です。平安時代の貴族社会でおこなわれていた「髪削ぎ」が、平安時代後期以降、武家社会の通過儀礼として袴着の4儀となりました。この儀式では、子どもに袴をはかせ、碁盤の上に立たせ、碁盤の上にたった子どもの髪を一族の長老が「鬢親(ビンオヤ)」として、髪や鬢の先を切り落としました。後一条天皇皇女の章子・馨子両内親王が髪削ぎをしたときは、母方の伯父で氏長者である藤原頼通が髪を削いでいます。

髪を削ぐことの本来の目的

元服(成人)するときは、男性は長い髪で髷を結い、冠をかぶる儀式をおこないました。また女性も、髪上または初笄とよばれる、下ろしたままの髪を束ねて髷に結う儀式をおこないました。男女とも、髪が長くないと元服の儀式に差し障りがあったんです。

昔は髪を削ぐことが、通過儀礼としての意味をもっていたんです。そのため、年に何回か吉日を選んで、髪が削ぎ整えられていました。ですが、これはただ髪が伸びるから切るということに吉凶や通過儀礼が結びついているのではありません。大事なのは、髪を短くするのではなく、美しく髪を伸ばしていくということが重要だったんです。

【連載・黒髪と美の歴史】どうして黒髪女性に魅かれるのか#1

【連載・黒髪と美の歴史】どうして黒髪女性に魅かれるのか#2

<著者プロフィール>

平松隆円(ひらまつりゅうえん)

大学教員 / 化粧心理学者 / コラムニスト

1980年、滋賀県生まれ。2008年、世界でも類をみない化粧研究で博士(教育学)の学位を取得。国際日本文化研究センター、京都大学、タイ国立チュラロンコーン大学などを経て、現在は東亜大学准教授、芸術学部トータルビューティ学科長。 専門は、化粧心理学や化粧文化論。主な著書に『化粧にみる日本文化 だれのためによそおうのか』(水曜社)、『邪推するよそおい 化粧心理学者の極私的考察』(繊研新聞社)などがある。

<この連載は著書「黒髪と美の歴史」よりSANKEI HairCare Postにあわせ寄稿していただいております。>

黒髪と美の歴史-平松隆円-角川ソフィア文庫2019/7/24

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