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【連載・黒髪と美の歴史】どうして黒髪女性に魅かれるのか#18

【連載・黒髪と美の歴史】どうして黒髪女性に魅かれるのか 第十八回

【連載・黒髪と美の歴史】どうして黒髪女性に魅かれるのか#17

髪を結ぶ結髪は、おしゃれという装飾性から生まれたのではなく、髪が長いと邪魔になるという日用上の便宜から、次第に垂髪から変化していきました。そしてそれが、公家から武家という支配的な地位にいる人たちの入れ替わりとともに関連して、普及していきます。

ところで、いつの時代のも後世に自らの業績を示すために肖像画を描かせる為政者は、日本だけではなく政界中で存在します。そしてそれは、男性だけではなく、ときに女性の姿も描かれます。

社会的身分の高さの象徴としての垂髪

織田信長の妹で、浅井長政そして柴田勝家の妻となったといわれる女性に、がいます。市も、肖像画が残されています。描かれたお市の髪形に注目してみましょう。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/78/Oichinokata.jpg

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/78/Oichinokata.jpg

すると、垂髪であることに気がつくと思います。武家の女性でありながら、肖像画に描かれる市の髪形は髷ではなく、垂髪なんです。なぜ、お市は垂髪なのでしょうか。理由はいくつか考えられます。例えば、武家の女性とはいえ、市は織田信長の妹で、父である織田信秀は尾張を治める大名でした。下級武士の出自とは違い、お市は生まれながらのお姫様です。したがって、公家的な美意識の影響、つまり自分自身で何かをする必要がないという社会的身分の高さの象徴としての垂髪の美意識をもっていたと考えられます。

ですが、公家社会との接点がなければ、そんな美意識を共有することもありません。実際、武家と公家は密接な関係にありました。武家の豊臣秀吉が公家の最高位である関白に叙され、また源、足利、徳川の歴代征夷大将軍が天皇からその地位を叙されたように、武士は朝廷と関わり続けたんです。それは、官位を得るためで、官位は自らを権威づけるだけではなく、領国支配の正当性や戦の大義名分としても利用されました。

ただ、この肖像画は絵画的表現として垂髪で描かれている可能性もあることを忘れてはいけません。というのも、この肖像画は市の長女であるが、母の七回忌に菩提を弔うために描かせたものだからです。市の手に注目すると、経巻を保持していることに気づくでしょう。これは、追悼・追善の意味がこの絵にある証拠です。同じように、奈良県立美術館が所蔵している『伝淀殿画像』の淀の姿も市と同様に垂髪です。ですが同じように手には数珠を持っています。そのため、これもまた追悼・追善の意味がこの絵にある証拠です。その一方で、徳川2代将軍秀忠の娘である千姫の絵をみると、髪が結われていいます。こちらは、経巻や数珠はなく、た追悼・追善の意味をみることはできません。そのため、やはり日常的には武家の女性は髪を結っていたのでしょうね。

黒髪と美の歴史連載一覧

平松隆円(ひらまつりゅうえん)

大学教員 / 化粧心理学者 / コラムニスト

1980年、滋賀県生まれ。2008年、世界でも類をみない化粧研究で博士(教育学)の学位を取得。国際日本文化研究センター、京都大学、タイ国立チュラロンコーン大学などを経て、現在は東亜大学准教授、芸術学部トータルビューティ学科長。 専門は、化粧心理学や化粧文化論。主な著書に『化粧にみる日本文化 だれのためによそおうのか』(水曜社)、『邪推するよそおい 化粧心理学者の極私的考察』(繊研新聞社)などがある。

<この連載は著書「黒髪と美の歴史」よりSANKEI HairCare Postにあわせ寄稿していただいております。>

黒髪と美の歴史-平松隆円-角川ソフィア文庫2019/7/24

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